2011-12-27

新宿

先週金曜日は新宿でDJしました。
小西康陽さん、クボタタケシさん、平林伸一さん、そして僕の4人でやっているパーティー「新宿ジャズ&ジャイヴ」です。早いものでもう6周年です。しみじみ。

まず夕方に東京に着いて、下北の事務所で加藤さんにご挨拶。今年もお世話になりました。
オンラインショップのEAT RECORDSは順調のようです。いまの品揃えでコレだけ売れたら十分。という程度には売れているらしく、来月から調子に乗せるべくドカンと仕入れるみたいです。

http://www.eat-records.jp/

いま見たら「藤澤志保のショートインタビュー」というのが掲載されていました。シュールです。



22時。新宿にてパーティー開始。
そういえば6年前と比べるとパーティーの雰囲気は変わったように思える。
あの頃は平林さんと目が合うたびにショットが回ってきていた。平林さんから逃れても他の誰かに捕まってショットが回ってきた。とくかく飲んでいたし、僕以外にも泥酔者は続出していた。
とにかく話題には欠かないパーティーではあったが、話題にしたくないような事柄ばかりが量産されていた。
今でも潰れる人はたまにいるけれど、かなり穏やかになって、音楽を楽しむ余裕もできてきた。

変化がないのは落合さんくらいで、この日も泥酔していて「10万円かけて腕相撲やるぞ」と絡んできたので僕は一緒になって酒を飲みつつも腕相撲だけはかわし続けた。.僕の携帯の待ち受け画面がマイクタイソンだった事が原因と思われる。


小西さんと「DJって難しいですねえ」という話をした。
この話は長くなるのでまたヒマな日にダラダラ書きます。


朝方になってみんなで2曲交代でDJをやった。クボタさんは「いまのこの雰囲気に合うものがない」と不参加。珍しい。

今回の僕はそこそこちゃんとDJできたと思う。



これが今年最後の日記だと思います。みなさん良いお年を~。

2011-12-19

鳥取空港でネギ坊を見た!!!

12月17日。鳥取でDJ。名古屋⇔鳥取は直通の飛行機が無いので、名古屋からら姫路が新幹線、姫路から鳥取がスーパーはくとという特急列車。
乗り換えの際、姫路駅のホームにいろんな数字があって、どこで待てば僕の乗る5号車が停まるのかさっぱりわからなかったので、とりあえず頭上の看板には⑤、足元には②と④が書かれている場所で待ってみたが、ここに止まったのは3号車だった。難しい。

飛行機以外で大阪よりも西へ行ったことがなかったのでどちらも楽しかった。


18時に鳥取駅でユカさん、ケンボウ、たーくんと合流。ホテルでチェックインしたら18時30分から居酒屋へ移動。「この時間にウイスキーはまだ早い」と思っていたのにビール数杯で心が折れて飲み始めた。21時に小西さんを迎えに鳥取空港へ。22時に小西さん、山崎さん、僕、ユカさん、ダンさんの5人でまた居酒屋。すぐに僕の出番が近くなったので、僕だけカフェに戻った。そうそう、今日はクラブではなくてカフェだった。知らなかった。これはラウンジな選曲にしたほうがよいのか悩んだけど、音量が微妙に小さいという意外は暗さもフロアの感じもクラブと大して変わらなかったので予定通りの選曲でやった。まあ予定していた選曲も最初のほうはゆるいブルースだったのだけど。

静岡に住んでいるオールデンさんがいてすごく驚いた。DJ中に何杯かテキーラを持ってきてくれたのでかなり酔った。本当はこの辺から記憶が断片的になっていて、パーティーがあっという間に終わってしまった。まあ2時にパーティー終了と聞いていたので実際にもあっという間だったと思いますが。

で、物足りないから他でもDJやりたいですと僕がわがままを言ったので、ユカさんが手配してくれたバーに移動してDJをやった。と言っても「2時で終わっちゃうのは寂しいです」と言ったのは夕方の話であり、今となっては「もう倒れてもいいかもしれない」という気持ちも確実に半分はあったし、実際にも小西さんとケンボウにDJを任せている時間が多くて、僕はあんまりDJやらなくて、申し訳ないですという気持ちでいっぱいなのでいまこの日記を書きながら正座をしております。

とにかく雰囲気の良いバーで、普通に楽しく飲んでいました。


18日。日曜日。12時チェックアウト。カフェでお昼。その後、前垣さんのボルゾイレコードへ。マッドネスのワンステップビヨンドが500円だった。うわあい。あとネタにも使えそうな謎のカリプソのLP。
このボルゾイレコードのあるビルが学校の校舎みたいな作りで雰囲気が良かった。みんなでこういうところに住みたい。「3-1 かみや」「1-2 ひらばやし」みたいな表札で。
あと店主の前垣さんがここ10年は見たことがないほど見事な寝癖だった。右も左もしっかりと。
あと手のひらがへんな色していて「昨日飲んだワインで手が染まったみたいです」と言っていた。素朴でいてしっかりと個性のある人だった。

次もレコード屋。狭いお店で、店内はレコードびっしりという感じだったけど、山積みの新聞紙など不要なものが多くて意外と見れる場所は多くなかった。秋本奈緒美みっけた。600円。三ツ矢雄二は100円。
新聞紙に埋もれていたせいか、小西さんが買った7インチのビニールがなかなか剥がれなくて、値札を取り出すのにかなりの時間を要した。カッターも使って丹念に。そして少し破れてしまったビニールもちゃんとキレイなものに入れ替えていたので、ここにもかなりの時間を要した。

粘着のあるビニールはどうせすぐに捨ててしまうので、「僕はビニール要らないです」と言ったら「え?いらないの?ビニールを使わないなんて大丈夫なんですか?」ととてもビニールを薦めてくれたので、それを断るのにも結局かなりの時間を要した。この店主もまた素朴でいてしっかりと個性のある人だった。

次はハードオフ。2枚購入。スロット「まごエヴァ」の実機が4000円だった。ジャグラーだったら絶対に買ってた。電源が入ってたので、ボーナス確定画面にして去ろうと思ったがもちろん引けず。

そして次は「なんでも鑑定団」みたいな地方によくある総合的なリサイクルショップ。また秋本奈緒美みっけた。なんか今日はよく出会う。みんなに「こいつ秋本奈緒美ばっかしだな」と思われたらどうしようと思いつつも買った。
この時代「アイドルにジャズを歌わせよう」みたいな企画が連発したが、どこにもジャズは見当たらなかった。みたいな文章をどこかで見たので、これもそうなんだと思う。でも買う。

この後、空港で小西さん山崎さんをお見送り。小西さんたちがゲートを通って搭乗口へ向かったあとで、なんとパチスロライターのネギ坊を見つけた。僕とユカさんで感動して「握手とかしてもらいましょうか?」とはしゃいでいたが、他のみんなは「誰ですか、それは」という感じだったし、もうひとりタークンもスロットをやるのでネギ坊を知っていたけど「別に。」というテンションだった。ツイッターでつぶやいても誰も反応がなかったし、スロッターの友達数人にメールしても、いたことに驚くのではなくて、あんな普通な人に気が付いたおまえがすごいという内容ばかりだった。

空港をあとにして、駅へ。
そしておしゃれな特急「スーパーはくと」に乗って帰りました。

鳥取のみなさんお疲れ様でした。ありがとうございました。
そして小西さん、山崎さんもお疲れ様でした。


秋本奈緒美は2曲当たりました。

2011-12-13

オンラインショップ

僕がお世話になっているEAT RECORDSがオンラインショップを始めました。
まだはじめたばかりなのでそんなに充実していないかもしれませんが、もともと全国のレコード専門店に卸しをしていた会社なので品揃えは確実に良く なっていくと思います。さらにアナログのプレスも積極的にやってくれる会社なので、他の店では買えないような物も並ぶようになると思います。

http://www.eat-records.jp/
是非チェックしてみてください。
買い逃していた物があったりするかもしれませんし、なかったりもします。


近いうちに僕好みのスウィングやネオロカでアナログ化されていないような物もたくさんアナログでリリースしてくれるみたいです。あと僕のリリース 物で即完売した商品も「この日のために少しだけ残しておいた」と言っていたので、テキーラのリミックスの7インチや、マニフェスト1なんかも適当なタイミ ングで出ると思いますので、そちらも是非よろしくお願いします。

http://www.eat-records.jp/fs/eatrecords/c/BOOT_BEAT
これが僕のを検索したページです。
買い逃していた物があったりするかもしれませんし、なかったりもします。


もちろん僕以外のDJの好みも反映されて、生音系だけじゃなくいろんなジャンルが充実していくと思います。


よろしくお願いします。

2011-12-08

札幌

12月3日。札幌でDJなので昼前には空港へ。
名古屋は晴れてたけど、札幌は雪が相当降っているみたいで「着陸できなかったら名古屋に引き返します。ご了承ください」と言われた。行けなかった らDJできなくなってしまうので、ご了承できるわけないのだが「じゃあ無理にでも降りますね~」と言われたらもちろんそっちのほうがカンベンしてもらいた いので何も言えない。搭乗手続きを済ませて空港でご飯。偶然レナちゃんに会った。「えー、札幌行きって戻ってくる確率高いらしいよー。いけるといいね」と 言われた。

機内でも「もし着陸できなかったらやり直しするので、その場合は何度か旋回します」といわれた。
しかしそんな不安をよそに、無事に札幌に着いた。

着いたらだいじゅんが迎えに来てくれていて「神谷さんたちの後の東京→札幌は欠航になりました」と言っていた。危ない危ない。

車で札幌のホテルへ。チェックインしたらすぐに出かけた。スープカレー侍。間違えた。スープカリー侍。「ラジオをレディオ」とか「テレビをティーヴィー」とか「カレーをカリー」みたいなのは呼ぶのに少し抵抗がある。なぜか照れる。
まあそれはいいとして久しぶりに食べたこのカレーがものすごいうまくて感動した。スープカレーではここがダントツ一番好き。
昔はすんごい行列が出来ていて面倒だったけど、今回は店舗が増えてお客さんが分散したので並ばずに食べれた。

ホテルに戻って軽く準備したらクラブへ。ブースに荷物を置いてサウンドチェック。
サウンドチェックはあまりやる事がないのだけど「やらなくていいでーす」とか言うとヤル気ないのかこいつはと思われたらイヤなので一応チェックしたがもちろんOKだった。

チェック後はご飯を食べに行った。そこでいろいろ話をした。JOKEMICというグループのプロデュースをすることになった。アルバム一枚まるっと。
今はまだ何も出ていないのだけど、このペースだと来年はかなりのリリース量になりそう。僕自身のオリジナル曲が何曲かと、オバ君をプロデュースし ている曲が何曲か、そしてJOKEMICのアルバムまるっと。できれば藤本ヨウとも何かで絡みたいのだが、まだどういうやり方で絡めるのか考え中。

そしてクラブに戻るとパーティーは始まっていた。
たくさん酒も飲んで、DJも「もっとやりたかったな」と思えるほど楽しくできて、飲みすぎて迷惑かけるという事もなくて、パーティー全体も楽しく て、かわいい子もたくさんいて良かったのだけど、「見てるこっちが引くわ」というほどの酔っ払いもいなかったし、だいじゅんも頭を打たなかったし、耳なし 芳一ばりに全身落書きだらけで帰っていく者もいなかったし、救急車で運ばれる者もいなかった。どれか一個くらいあっても良かったんじゃないかと思うので、 誰も潰せなかったことを悔やんだ。


次の日はホテルのチェックアウトをしたらすぐにスープカレーを食べに行って、その後は僕だけレコードを見に行って、またみんなと合流して、バスで空港に行って解散。
別行動して行ったレコード屋が大当たりで何時間でもここにいたいと思った。レコ屋に行くまでの路面電車も楽しかった。合流したあとのみんなでのバスが思いのほか豪華で快適でこれも楽しかった。

解散後に寿司を食べて、お土産を買って帰った。

帰りの飛行機が「機材変更のため」ということで1時間遅れた。
おかげで中部国際空港に着いたのは11時半くらいになっていて、たぶん終電を逃した人もいたと思うのだが、機内アナウンスにて「発着の遅れによる 交通機関の代金や宿泊費の保証や血も涙もありません」と言われていたので、いや「血も涙も」とは言ってなかったが、とにかく飛行機から降りたら一部の人は すごく走っていた。僕はヤバイと思って親に迎えを頼んでおいたので助かった。



楽しい二日間でした。みなさんありがとうございました。

そして来週は小西さんと一緒に鳥取です。鳥取の皆さんお久しぶりです。よろしくお願いします。

2011-12-02

先月の東京

本当は「浜松からそのまま東京へ行って、数日間遊ぼう」と考えていたのだけど、制作があまりにも進まなかったのと寒波に負けたので家に帰った。

という事で11月23日。実家にて制作。
オバ君から「作詞を気にしすぎて曲がまとまらなくなるくらいだったら、作詞のことを見越して作ろうとしないで、曲だけに集中したほうがいいです」とアドバイスをもらったので、素直に作詞は後回しにして曲に集中。夜には一曲目のほうがキレイにまとまった。

オバ君にメールで提出して、2曲目に取り掛かって、すぐに壁にぶち当たって酒を飲んで寝た。

11月24日。何から何まで昨日とほぼ同じ一日。酒の量も同じで1リットル前後。
最近これくらい飲んでも記憶はなくならないようになってきた。プライベートでは一切酒を飲まなかったのに、ここ数ヶ月はよく飲んでいるので強くなってきたのかもしれない。喜ばしいことでもないが。

11月25日。東京。夕方から事務所で打ち合わせ。
本当は4曲のラフデータを加藤さんに提出して、どうやってリリースしていくかを話そうと思っていたのに、提出できたのは一曲だけだったので、ずいぶんぼんやりした打ち合わせになった。まあいつもの事か。

夜は新宿OTOにてDJ。新宿ジャズ&ジャイヴ。
落合さんをベロベロに酔わせて、酒をおごってもらおうという作戦にでた。
3~4ヶ月前くらいから毎回この作戦を決行しているが、成功するしないは別として、落合さんと絡んでいるのが楽しい。

小西さんに作詞作曲に関していろいろ質問させてもらった。勉強になったというよりは、やっぱり小西さんは天才だなあと思っただけで、僕に活かせそうもない感じだった。


11月26日~12月1日。もう一曲が完成した。すごい満足ではあるが、はたしてこれに詩が乗るのだろうかという不安があってあまり喜べない。とりあえず札幌の準備をしはじめる。


明日、12月3日(土曜)は札幌でDJします。
アシッドルームというところです。

2011-12-01

先月の浜松

11月21日。夜。バイクで浜松へ。
いままで暖かかったのにこんな日に限って寒波がやってきた。やあやあやあ。
この日をすごく楽しみにしていたのに楽しさ半減。それでもハードオフに寄って中古レコードを探しながら行ったし、本坂トンネルも通った。
本当はこの前ムネムネと行った旧本坂トンネルを通ろうと思っていたのだけど、寒波による純粋な寒さと心霊スポットによる精神的な寒さの強力タッグには勝てそうも無かったので、ここは新しいほうのキレイな本坂トンネルで我慢した。それにしても寒い。

浜松に着いて、コンビニでウイスキーを買ってオバ君の家へ。早速酒を飲みながら制作。
最近メールでデータをやり取りしていたので、すでに一曲はほぼ完成していた。その一曲目は全体の構成を考えた。できた。これオバ君名義の曲。

次は私名義の曲。これまたすでにメールのやり取りで大体形になってきていたので、そこから相談しながら少しメロディを変更して、行き詰ってストップ。保留。酒が進み始める。

次はオバ君の2曲目。初めて聞く。手応え悪い。保留。酒が進む。

次、私の2曲目。これが正直僕にも完成形が見えていなかったのだけど、オバ君とその場で相談しながら作り直せばどうにかなるかと思ったが全く進まなくて、進んだのは酒だけだった。

気がつけば僕が持ってきたウイスキーの小瓶は空っぽで、オバ君の家にあったウイスキーの中瓶も空っぽになった。計1リットル。時間もずいぶん経っていたので明日のラジオがやばい気がしたので作業は終えて寝た。


11月22日。朝9時起床。緊張のせいで目覚ましよりも少し早く起きた。今日はK-MIXという浜松のラジオ局で生放送の番組に出演。ラジオ苦手。

過去に名古屋のZIP-FMでは、緊張のあまり椅子に座ったとたんにひっくり返って、近くのコンセントが抜けて、軽くパニックになった。

渋谷で辰緒さんのラジオ番組に出たときは、あまりにも会話が出来なくて「放送事故になる!しゃべれ!」と辰緒さんに注意された。が、もちろんその注意にも「はい」とさえ言えず、僕は無言でうなずいて辰緒さんを困らせた。

生放送以外はどうかと言うと、北海道のラジオ番組で使うためのコメント(パーティーの告知をするだけの簡単なもの)を録音するというだけでも緊張してしまい、酒をがぶがぶ飲んでみてもRECボタンを押されるととたんに言葉が出なくなってしまって、結局「僕は出演ナシで」という形で丸く収まった。
出演ナシと決まった瞬間に急に酒が回って、その日のDJはズタズタになった。ズタズタというか「クラブに行った記憶さえない」という状態になった。とにかくラジオは苦手。何回やっても慣れない。



昼11時にK-MIXに到着。「なんで引き受けたんだ俺は」という自責の念が頭の中を占拠していたので、スタッフの方の説明が全く頭に入らなかったのだが「30分後に本番でーす」という言葉だけはしっかりと入ってきた。


何を話したのかはあんまり覚えていない。がんばったと思う。僕なりには。


そして僕とオバくんのラジオ出演は終わった。終わった後もしばらく緊張が取れなかった。

昼食にハンバーグを食べて、オバ君の家に戻って制作の続きをした。
しかし、一曲目にやったオバ君名義の曲だけが完成に近づいていくものの、他の3曲は全くだめだった。せっかく浜松にいるので他の曲も完成させたいと思って、悪あがきしては壁にぶつかって、オバ君の一曲目を聞いて「これはいいね~。完成も近いね~」と二人で喜んで、また他の曲に取り組んで壁にぶつかって、一曲目「いいね~」、壁、いいね~、壁・・・と夕方まで繰り返した。進展はナシ。


夜になって帰宅。

「もうバイクの季節は終わった」と思ってバイクを倉庫へしまった。

2011-11-12

燻製を作る

僕はサンプリングする時は大体酒を飲みながらやります。
作りたい曲を思い浮かべながら、資料になりそうな音を探して録音するわけですが、作ろうと思ってる曲によって使いたいフレーズも違ってくるので、 毎回毎回家のレコードを全部聴きなおしします。まあ正確に全部ではないですがほとんど聞きます。そして曲中のどこに使えるパートが潜んでいるか分からない のでどの曲もイントロと間奏はチェックします。そうして大体2万曲くらいをパッパッパと聴いていって、使えそうなところを録音していきます。僕は一曲作る のに対して最低でも100パートは録音したいです。その100から一番理想的な組み合わせを探して、最終的には20パート前後で組み上げます。こういう作 り方なので、録音したパートが多ければ多いほど組み合わせのパターンが増えて、結果的に良い仕事に繋がるわけです。なので、できればイントロと間奏以外の 部分も聞いたほうがよいのですごい時間がかかるし辛くなってきちゃうのでいつしかサンプリングの時は酒を飲みながらやるようになりました。長々と説明しま したが、4リットルのウイスキーを買った事への言い訳がしたかっただけです。
とはいえ、じゃあこれだけあれば曲作りに集中できるかと聞かれたらそれはもちろん即答でNOだ。あればあるほど集中しなくなる。他の事をし始める。泣き出す。部屋が酒臭くなる。自分の事が嫌いになる。
でも僕はそれでもウイスキーを買う。

そして、その流れで「美味しいつまみでも」と思いまして燻製を作りました。これが意外と難しくて、3回目にしてやっと成功。かなりの時間を費やした。この時間も「音楽の制作時間に含む」と考えれば決して無駄ではない。わけはない。

あ、来週11月17日くらいに「ジブリジャズ・リミックス」というCDが出ます。2曲参加してます。よろしくお願いします。サンプルも届かないし、とくに連絡も無いので不確かですが。

そして、まあその宣伝も兼ねまして、11月22日か23日か忘れましたが浜松に行きます。で、K-MIXというラジオ局のお昼の番組に出させていただきます が、僕はこの「ジブリジャズ・リミックス」の企画をしたわけでもなく、プロデュースしたわけでもなく、ただ依頼されて2曲参加しただけなので、しゃしゃり 出てる感じがしてあまり気乗りはしないのですが、浜松のオバくんの家で制作するついでになるのでしゃしゃり出ることにしました。

で、11月25日は新宿OTOでDJします。「新宿ジャズ&ジャイヴ」です。浜松が疲れたら一旦家に帰りますが、元気だったら浜松からそのまま東京に向かいますので、その場合は東京で何日かヒマしてると思います。

で、翌週の12月3日は札幌でDJします。藤本ヨウのリリースパーティー。これはミックスCDじゃなくて12インチのアナログのリリースだそうです。がんばってるなあ。
ついでにダイジュンとかヨウに「ねえねえ、一緒に群れようよー」と誘ってみます。

で、さらに翌々週の12月17日は鳥取でDJします。久しぶりに小西さんと地方です。
札幌もですが、この鳥取のパーティーめちゃくちゃ楽しみです。気合入ってます。

で、その翌週12月23日の「新宿ジャズ&ジャイヴ」で仕事納めです。
この日までに最低でも2曲は完成している予定です。作詞もしたやつ。


ついつい予定も書いてしまいましたが、それぞれ近くなったらまた書きます。でわでわ。

2011-10-27

いろいろ

●オバくんと一緒に曲を作っているわけですが、とりあえず僕の2曲はなんとなく組んで「あと演奏よろしく~」という感じで放り投げた。オバくんの曲のプロ デュースに関しては「こんなんどうですか?」という曲データが送られてきたので、サビとホーンのアレンジをまるっと差し替えて「こっちでいこう。あとよろ しく~」という感じで放り投げて、両方ともオバくんから戻ってくるのを待つことにした。

●誰かと群れるとか、何かの系統にくくられるのとかが苦手で「できれば一人で頑張りたい」と思っていたのですが、オバくんに放り投げてみて緊張の 糸が切れたのか、それともただたんに歳をとったせいなのか、冬の到来で人恋しくなっただけなのか分からないのだけど、とにかく急に例えようのない寂しさに 包まれて「僕もどこかに属したい!」と思った。

早速、ヨウとかダイジュンに「なんか手伝うよ~」とメールしたところ、ヨウから「ブレイクビーツのフィルで良いの持ってないですか?」とメールが来たので「それはない」と返信して俺って役立たずだなあと悲しい気持ちになった。
よく考えたらトラックメイカー同士だとネタ交換くらいしかやることがなさそうだ。はりきったわりにほとんど意味の無いメールをしてしまったわけか。恥ずかしい。
こんな調子で群れることができるのだろうか。

●さて、告知します。明日は新宿でDJします。

毎月第4金曜日@新宿OTO
「新宿ジャズ&ジャイヴ」


DJ
小西康陽
クボタタケシ
平林伸一
BOOTBEAT


●明後日は名古屋でDJします。

「JOKE in NAGOYA 藤本曜 another chic release party!! 」
SPECIAL GUEST DJ
BOOT BEAT
川西卓

GUEST DJ
YOHEY(Orange)

DJ
藤本曜/SHUN/MURANAO
s@chi/志水亮介/スズキゲン
Kazuyo/MUNE

LIVE
啓順/Mizuka


よろしくです~。でわでわ。

2011-10-18

木を切る。その3

先週火曜日。またリュウに呼び出された。ひたすら木を切る。

今回はチェーンソーが復活していたのと、全員のノコギリが新品だったおかげでヤル気アップ、ペースアップ。昼から始まって黙々と切り続けた。

夕方に一度、リュウの奥さんが差し入れを持って来たので休憩。
リュウが「おーい、娘も連れてきたみたいだから見に来い」と車に呼ぶので見に行った。後部座席のガラスにカーテンが付けてあってすぐに中は見えな かったのだけど、そのカーテンがすごいばさばさ揺れていたので「おまえの娘、生まれたばかりなのにやたら元気だな」と言った瞬間にカーテンから顔を出した のがリュウの娘でなく、リュウのお母さんだったので「あ、おひさしぶりです」と言い直したものの、とても気まずかった。なんでカーテンばさばさしたのよ紛 らわしい。

リュウの娘はその隣でカーテンなど触らずに大人しくしていた。まだ3ヶ月らしい。すごく表情の無い子だった。リュウが「おい、笑え」と言いながら 軍手のままで顔を触ってみても、表情を変えたのは奥さんとお母さんで、娘はポーカーフェイスを保ったままだった。むろんリュウは怒られた。


休憩後、僕はノコギリから草刈機に切り替えた。バッタが飛んでくると怖いから拒否していたのだけど、その恐怖を除けばノコギリとは比べ物にならな いほど楽しそうだったからだ。実際、草刈機に向かって飛んでくるような命知らずなバッタはおらず、すごい勢いで草をなぎ倒すのが爽快だったので陽が暮れる まで没頭した。

今回は僕らにしては珍しく、大きなトラブルもなく、遊び始めることもほとんどなく、スムーズに作業が出来たので草刈や木を切り倒す工程はほとんど終わった。


作業後、リュウが「よし、しゃぶしゃぶでも食いに行くか!」と言ってココイチに連れて行ってくれた。万が一にもしゃぶしゃぶはないと思っていたし、ココイチも嫌いではないし、飯をおごってもらいたくて手伝ったわけでもないので別に気にしない。
ただ「しゃぶしゃぶでも食いに行くか!」と言う時、毎回偉そうにするのは少し気になる。

カレーを食べ終えて「じゃあまた来週もよろしくな~」と言われて解散。


次の日。ナベから「来週からもう行かなくていいみたい。行ってもいいけど」とメールがあった。
国から「農地以外での使用はダメ」と言われて認可が下りなかったらしい。

僕は運動不足の解消、ナベは暇つぶし、カズキは「みんなが集まってるから」という理由で手伝っているだけで、別に美容院を建てて欲しくて手伝ったわけじゃないのでそこは正直どっちでもいい。



しかし、なぜかむなしい。

2011-10-07

木を切る。その2

草は刈り終え、全員ノコギリ。
チェーンソーが使えた数時間のおかげでだいぶ更地っぽくなってきて、バッタも姿を見せなくなったので、僕も中に入ってノコギリ。30分もしないうちに周りを見ると、僕以外は全員サボっていた。
ノコギリになってからのペースダウン、ヤル気ダウンは凄まじかった。全然進まない。
数分おきに「北海道を拓いた人たちすげえなあ」と聞こえてきた。

日が暮れてきて、もう何も見えなくなったきたので作業終了。リュウのおごりでカレー屋。
カレーを食べながら「さて、切った木をどう処分したものか」という話し合いをした。リュウがとりあえずノープランで切っていて「まあ最後に焼けば いっか」くらいに考えている事が判明して、僕らは驚愕した。量が多すぎるので通報されることは間違いない。それどころか、火を甘く見ていて、燃え広がって 新聞に載るのではないだろうかという不安もよぎった。


カレーのあとは、カズキが「車のヘッドライトを買いたいからついてきてくれ」というので全員でホームセンターに移動。もちろんここはさっきリュウが替刃を投げつけた店。
リュウはもう怒ってないのだけど、バツが悪いからと言って意味も無くシカメっ面をしていた。
ついでなので正しい替刃はどれなのかみんなで探したが、チェーンソーの型が古くて全部適合しないとわかったので、リュウに「そんなに高くないから新しいチェーンソーを買え」と促した。

ホームセンターはみんな嫌いではないのでしばらく個々でウロウロ。

どこからともなく防犯ブザーの音が聞こえてきた。見に行くとチェーンソーのところでリュウが慌てていた。勝手に鳴っただけで何もしていないらしい のだが「替刃が適合しなかったから、本体を万引きしようとした」と見えなくも無い。しかし店員は駆けつけてこないので、放置してその場を離れた。離れた後 ですぐにブザーが止まった。
替刃を投げつけたリュウもバツが悪いが、投げつけられた店員さんもバツが悪かったのかもしれない。リュウがその場から離れるのをどこかのカメラでチェックして、離れてからブザーの処理をしたのではないだろうかと僕らは予想した。

もう居場所が無い感じがしたので、僕らは店をあとにした。

家に帰ったらすぐに寝た。次の日は筋肉痛で動けなかった。

木を切る。

リュウに「木を切るからちょっと手伝ってくれ」と、あいつの実家近くの空き地に呼ばれた。空き地というかちょっとした森みたいな場所。「ちょっとじゃ済まないだろうな」と思った。

指定された時間に森に到着。さあこの森のどの木を切るのかと問うと「全て」と言いおった。さすがにそこまでとは思わなかった。なんでも2ヶ月以内に開拓して美容院を建てるのだと言う。
その開拓するために呼ばれたのが僕とナベとカズキの、一般成人男性と比べても「非力」に分類されるであろう3人。メンツにも期限にも無理がある。

リュウはさっそくチェーンソーを僕に手渡し、何の説明もなく森へと消えて行った。遠くから草刈機の音が聞こえてきた。チェーンソーを持った僕はしばらくそこに立ち尽くした。初めて触るので使い方が分からなかったが、やってみると意外と簡単だった。あれ?これ楽しい。

そして僕も森に入って10分ほど大暴れしたが、大きなバッタが飛んできたので「そうかそうか、この時期はもうバッタが出るんだったな」と思い出して、何も言わず森から出た。そしてそれ以降二度と森には入らなかった。僕はバッタが大嫌いだからだ。リュウが散々僕を罵ったが、それでも入らなかった。入り口付近の木を切るのと、切った木の片付けに徹した。本当は帰ろうとさえ思ったのだが、それはまあ我慢することにした。

3時間後、チェーンソーの切れ味が悪くなってきたのでリュウが適当に替刃を買ってきた。
チェーンソーにもいろんな種類があるので適当に買ってきてはダメだよと注意するのを忘れていた僕たちに非があるのか、それとも34歳にもなってそんなことにも気がつかなかったリュウに非があるのか、どっちか悪いのか分からないのだがとにかく替刃は適合しなかった。

リュウはまたホームセンターに返品しに行って、30分後に手ぶらで戻ってきた。開封しているので返品できないと言われた事に腹を立てて、替刃を投げつけて帰ってきたのだそうだ。
僕たちは「お前が怒ったかどうかは別にどうでもいいから、もう一回行って替刃買ってこい」と命じたが、そこは頑として聞き入れなかったので、僕らはそれ以降の数時間ノコギリで頑張る羽目になった。


つづく

2011-09-29

初めての作詞。ブログ作成。

●ローソンのHPより「みんなでつくる からあげクンの歌」というものに応募してみました。

すでに曲があって、応募者は決められた字数で作詞をするだけ。そして作った曲を”あいこロイドちゃん”が歌ってくれます。この歌、作曲はなんと小西さん。
賞品には興味がなかったのですが、僕は「おお!これは小西さんと共演じゃないか!」という理由で心が動きました。

https://www1.lwp.jp/krgsong/?song=209

おもに「こんにちわ」を連呼するユルい感じに仕上げました。


●ブログを作っています。「どうせミクシイがメインだからブログなんてどんなデザインでもいいし、適当でいい」という考えから、本当にかなり適当にヤフー のブログを使っていたのですが、最近みんなの「ミクシイ離れ」がすごくて、ツイッター経由でブログのほうを見てくれる人が増えまして「このままではいか ん」と気がつきました。読みにくいし。


いままでの。パソコ版だとこう。


携帯だとこう。


で、ブログスポットというものを見つけたのでやってみました。
これ、無料で作れるし、かなり自由に作れます。


こんな感じ。

ざっくりと、この二つを作って満足。いままでとは比べ物にならないほど良くなった。どちらにしようか迷う。
本棚のほうがそれっぽいけど、雨のほうは「透かし」が入ってる。雨はどーでもいいけど背景が透けてるのとかかっこいい。どちらも捨てがたし。

そこで友達何人かにメールして選んでもらった。大抵は本棚のほうだった。

そんな中、ムラ君だけ「どっちでもいい」という返信だった。
この目の覚めるような一撃で僕は我に返った。なんか恥ずかしくなってきたので全部やり直すことにした。

今日一日それに費やした。レイアウトやら背景やらフォントやら。できる事が多すぎる。
背景が透けるのは別に雨のやつじゃなくても出来ることも判明した。

で、出来たのがこれ



ロゴをクリックするとそれぞれのところへいけるようにも設定できた。

これでかなり満足したのだけど、携帯でチェックしたら


こうなってた。背景画像が小さくて全然雰囲気違う。
いまのご時世、携帯でもちゃんと見れたほうがいい。たぶん。


という事で、第2候補のこっちにした。



あとはタイトル部分の画像をムラ君にもらって、差し替えたら完成。もう満足。

ということで、次の日記くらいからブログ移動します。

先週

●9月12日~17日。家に篭って作業。妙に集中できた。
りんご音楽祭のおかげと言っても過言ではない。「もっと頑張らないと、またDJ中に子供が走りまわる」という恐怖が僕の背中を押すので、やはりあの体験は僕の心に刺さったようだ。


●9月18日。今月末が締め切りの仕事はもうだいたい終わったので、夜はクラブに遊びに行った。
矢舟テツローさんが名古屋でライヴだったのでそれを見に行った。


●9月19日~21日。締め切りのある仕事はもう特にないのでのんびりしようかと思ったのだけどどうも気分が乗らないので、サンプリングしたり、今後何かに使えそうなドラムを組んでみたりした。何も浮かばなくなったらレコードを買いに行ったり。
今年2月にあったポールダンサーの件からどうもこういう日が増えているように思う。

http://blogs.yahoo.co.jp/jmkfs701/37111261.html
ポールダンサーの件


●9月22日。明日はジャズ&ジャイヴなので今日は準備の一日。
バイクで東京に行くので、レコードを極力減らすためにCDに焼いた。
ジャズ&ジャイヴは、小西さんもクボタさんも平林さんも毎回どんな感じでくるのか全く検討がつかないので、いろんなのに対応できるように「これも焼いてお こう。これもだな。」と、延々録音し続けて、結局300分くらいをCDに焼いたが、それでもまだ不安だけどキリがないのでストップした。8時間くらいか かった。
この労力、この時間の使い方はあまり効率的ではない気がした。


●9月23日。バイクで東京。高速道路に乗ると、新幹線使ったほうがトータルで安くなってしまうのでもちろん下道。
とはいえ、浜松から沼津あたりまではバイパスだらけでほとんど信号ないのでかなり快適だし、渋滞している道はそこをバイクですり抜けて行く優越感があるので苦にならず。ただものすごく寒かった。薄手のパーカーで箱根を走っているのは僕くらいだった。

ジャズ&ジャイヴはとても楽しかった。多少の反省点はあるものの「いつもよりは対応できたかな」と思える選曲が出来た。

2011-09-28

りんご音楽祭

9月10日、11日は長野県松本市にて「りんご音楽祭」でした。大きな公園を使って、午前中からはじまって夜中もやる音楽祭。

僕は11日の昼から出番だったので、その二時間前くらいに松本市に行って、駅近くで蕎麦を食べてから会場入りしました。

まずインフォメーションにて名前を告げてスタッフパスを貰った。そして「係りの者が誘導しますのでしばらくお待ちください」と言われたのでそこに待機。そ してすぐに係りの人が来てくれた。すごく配慮が行き届いてる。と感動するもつかの間で、係りの人に「あ?DJだったら一人で行けるでしょ!ステージすぐそ こだから!」と言われたので、さっきの待機は何の意味があったのかは気にしない事にしてステージへ。

二年前、この音楽祭で僕がDJした時はサブ的なステージだったので、テントを張っただけの小さな仮設ブースのような場所だったが、今回僕がやるのはメインの「りんごステージ」だ。
事前に渡された資料には「DJの方はステージ横にある仮設ブースでのお願いとなります」と書いてあったが、それでもメインステージなので前回よりは良かろうと思ったが、どこか見覚えのある仮設ブースが目に飛びこんできたので、僕は何度も目をこすった。
ソレは「ステージ横」と呼ぶには少し遠い場所に位置しており、どちらかと言うと、フードやドリンクを販売するテントと併設されていた。
テントなのに、というか、テントだけに、というか、とにかく「蚊帳の外」感がハンパなかったが、スピーカーが前回より大きいので満足した。

僕がブースに荷物を置いてすぐ、ちょうどライブが終わって花形ハヤシさんがそこでDJを始めた。

花形さんはDJが始まると曲をスタートさせてすぐにブースから飛び出し、テント前でマイクで歌い始めた。さらに近くにいた子供二人も巻き込んで三人で終始歌い続けた。

20年近く前に僕が憧れた「DJ」と言う像とは程遠く、りんごステージと仮設ブースくらいかけ離れていたが、それでも頑張って盛り上げようとしている姿は尊敬する。


DJ終了時間が近くなると、歌うのをやめて、次のバンドの紹介をし始めたがバンドの準備が遅れたので、花形さんの出番が延長になったのだが、それを伝えに 来る者はおらず、ただただバンドが始まらないからそのまま喋り続けるといい形になったが、それも限界になり「もう喋る事がありません!」と、急に困惑の表 情を浮かべたのち、ひたすら「このあと、掟ポルシェさんを迎えに行きます」と連呼していた。
DJなんだし、喋る事がなくなったなら普通に音楽かけてれば良かったんじゃなかろうかと不思議に思った。


こうして花形ハヤシさんの出番は終わった。
係りの人が出番延長を伝えに来なかったのも悲しいが、あれだけパニクって事態の収拾に尽力したにも関わらず、それを見ていたのは数人だけという事のほうが悲しい。このDJブースはそういう場所なのだと理解した。
バンドの演奏が始まると花形さんは急いでどこかへ行ったが、連呼してたとおりポルシェさんを迎えに行ったのであろう。

そういえば、さっきのバンドの開始が遅れたどころじゃなく、全体的に結構遅れてるなと気がついた。
そんなタイミングで忙しそうに動き回る今回の主催者古川君を見つけた。早速「時間ってどれくらい押してるの?」と聞きに行ったら「ブカンに聞いてくださ い」と言われたので「ブカンって何?」と聞いたら「舞台監督です。入り口のインフォメーションにいます」と言われたので、素直に入り口までいってブカンに 聞いたら「たぶん遅れてる」という返答をいただいたので、とりあえず遅れていることは分かって、また仮設ブースへ戻った。なんか恥ずかしかった。

戻ると次のDJのダイナマイトマンダムさんがいたので挨拶して、遅れてるみたいだよと教えておいた。何分くらいですかねえという問いには答えられなかったが、それは古川君もブカンも答えられない。たぶん誰も。

待ちつかれたので控え室でしばらく休んだ。しばらくしてまたステージに戻ると、ダイナマイトマンダムさんがDJをしていた。DJというか、曲を流しながらテント前でダンスをしていた。
めちゃくちゃ盛り上げていて、メインのステージに負けないくらいたくさんの人が踊っていた。
最後はクレヨンしんちゃんの曲を流して、マイクで次のバンドを紹介して、華やかに終了した。

そして次のバンドもまたステージから飛び出していた。すごく気が重くなった。

このバンドが終わると僕の出番なのでブースで待機。さっき花形ハヤシさんが一緒に歌った子供達がブース内で遊んでいる。花形さんが気軽にブース内に入れた ので「ここで遊んでも良い」と認識してしまったのであろう。僕の真後ろで砂遊びを始めたので「それはカンベンして」とお願いした。演奏が止まったっぽいの でステージの方を見ると遠くで手を振ってる人がいる。これがキューか。ずいぶんいきなりだな。

そして僕はDJを始めたわけだが、時間が1時間くらい遅れたせいで、別のステージのクボタさんと出番が丸かぶりとなってしまって、僕の友人達もほとんどクボタさんのほうへと流れたが、特に止めはしなかった。

僕のDJ中、つねに子供が周りを走っていた。「誰かスタッフの人たすけてー」と心では思っていたが、あまり期待できない。
小西康陽さんがDJ名を付けてくれて、デビュー作が即完売して、その後も何作品かが即完売して、地方でDJするようになって、ルパン三世のリミックスやって、ジブリのカバーもやって・・・結構苦労したんだけどなあと思い返したらふと涙が出そうになった。

さらに、DJを続けていると、風でフライヤーが飛んできて、流れているレコードの上に乗った。そしてフライヤーが針を通過して音が止まった。僕は野外が向いていないのかもしれない。


30分後、急にスタッフが来て「もう曲止めちゃってください」と言われたので「この曲がラストですか?」と聞くと「いまです」と言われたので素直に止めた。今日、全体的になんか悲しい。

そして、バンドの演奏が始まった。このバンドの後ももう一回僕の出番なので待機。
しばらくして掟ポルシェさんがブースに荷物を置きに来た。そして誰も何も聞いていないのに、ブースに入るなり「別に俺は大丈夫!覚悟してたから!」と言い 放った。おそらくこのブースの「蚊帳の外」感に対しての一言であろう。おもわず僕も「同感です」と呼応した。そういえば掟さんもここか。僕よりも全然有名 なだけに、僕よりも全然気の毒だ。

2回目のDJは少し元気にやれた。掟さんのおかげだ。
それに、数人の人に「DJよかったです」と言ってもらえたので結果良しとする。


DJが終わって友人と話をしていると「ミツザビーツさんがタイムテーブルが分からなくて困っている」と聞いた。なぜか分からないけど「すごい」と思った。

その後、クボタさんに挨拶しに別のステージに行ったらものすごい盛り上がってた。僕もこっち側でやれるくらい頑張らないといけないなあと思いつつも、あの 仮設ブースでもどうにか盛り上げる方法はあっただろうなと反省しつつも、トータル面白かったからこの展開が一番ベストだったかもしれないなとも思った。


スタッフのみなさん、あんな大きな音楽祭でいろいろ大変だったと思います。おつかれさまでした。ありがとうございました。めちゃくちゃ面白かったですw