2011-09-29

初めての作詞。ブログ作成。

●ローソンのHPより「みんなでつくる からあげクンの歌」というものに応募してみました。

すでに曲があって、応募者は決められた字数で作詞をするだけ。そして作った曲を”あいこロイドちゃん”が歌ってくれます。この歌、作曲はなんと小西さん。
賞品には興味がなかったのですが、僕は「おお!これは小西さんと共演じゃないか!」という理由で心が動きました。

https://www1.lwp.jp/krgsong/?song=209

おもに「こんにちわ」を連呼するユルい感じに仕上げました。


●ブログを作っています。「どうせミクシイがメインだからブログなんてどんなデザインでもいいし、適当でいい」という考えから、本当にかなり適当にヤフー のブログを使っていたのですが、最近みんなの「ミクシイ離れ」がすごくて、ツイッター経由でブログのほうを見てくれる人が増えまして「このままではいか ん」と気がつきました。読みにくいし。


いままでの。パソコ版だとこう。


携帯だとこう。


で、ブログスポットというものを見つけたのでやってみました。
これ、無料で作れるし、かなり自由に作れます。


こんな感じ。

ざっくりと、この二つを作って満足。いままでとは比べ物にならないほど良くなった。どちらにしようか迷う。
本棚のほうがそれっぽいけど、雨のほうは「透かし」が入ってる。雨はどーでもいいけど背景が透けてるのとかかっこいい。どちらも捨てがたし。

そこで友達何人かにメールして選んでもらった。大抵は本棚のほうだった。

そんな中、ムラ君だけ「どっちでもいい」という返信だった。
この目の覚めるような一撃で僕は我に返った。なんか恥ずかしくなってきたので全部やり直すことにした。

今日一日それに費やした。レイアウトやら背景やらフォントやら。できる事が多すぎる。
背景が透けるのは別に雨のやつじゃなくても出来ることも判明した。

で、出来たのがこれ



ロゴをクリックするとそれぞれのところへいけるようにも設定できた。

これでかなり満足したのだけど、携帯でチェックしたら


こうなってた。背景画像が小さくて全然雰囲気違う。
いまのご時世、携帯でもちゃんと見れたほうがいい。たぶん。


という事で、第2候補のこっちにした。



あとはタイトル部分の画像をムラ君にもらって、差し替えたら完成。もう満足。

ということで、次の日記くらいからブログ移動します。

先週

●9月12日~17日。家に篭って作業。妙に集中できた。
りんご音楽祭のおかげと言っても過言ではない。「もっと頑張らないと、またDJ中に子供が走りまわる」という恐怖が僕の背中を押すので、やはりあの体験は僕の心に刺さったようだ。


●9月18日。今月末が締め切りの仕事はもうだいたい終わったので、夜はクラブに遊びに行った。
矢舟テツローさんが名古屋でライヴだったのでそれを見に行った。


●9月19日~21日。締め切りのある仕事はもう特にないのでのんびりしようかと思ったのだけどどうも気分が乗らないので、サンプリングしたり、今後何かに使えそうなドラムを組んでみたりした。何も浮かばなくなったらレコードを買いに行ったり。
今年2月にあったポールダンサーの件からどうもこういう日が増えているように思う。

http://blogs.yahoo.co.jp/jmkfs701/37111261.html
ポールダンサーの件


●9月22日。明日はジャズ&ジャイヴなので今日は準備の一日。
バイクで東京に行くので、レコードを極力減らすためにCDに焼いた。
ジャズ&ジャイヴは、小西さんもクボタさんも平林さんも毎回どんな感じでくるのか全く検討がつかないので、いろんなのに対応できるように「これも焼いてお こう。これもだな。」と、延々録音し続けて、結局300分くらいをCDに焼いたが、それでもまだ不安だけどキリがないのでストップした。8時間くらいか かった。
この労力、この時間の使い方はあまり効率的ではない気がした。


●9月23日。バイクで東京。高速道路に乗ると、新幹線使ったほうがトータルで安くなってしまうのでもちろん下道。
とはいえ、浜松から沼津あたりまではバイパスだらけでほとんど信号ないのでかなり快適だし、渋滞している道はそこをバイクですり抜けて行く優越感があるので苦にならず。ただものすごく寒かった。薄手のパーカーで箱根を走っているのは僕くらいだった。

ジャズ&ジャイヴはとても楽しかった。多少の反省点はあるものの「いつもよりは対応できたかな」と思える選曲が出来た。

2011-09-28

りんご音楽祭

9月10日、11日は長野県松本市にて「りんご音楽祭」でした。大きな公園を使って、午前中からはじまって夜中もやる音楽祭。

僕は11日の昼から出番だったので、その二時間前くらいに松本市に行って、駅近くで蕎麦を食べてから会場入りしました。

まずインフォメーションにて名前を告げてスタッフパスを貰った。そして「係りの者が誘導しますのでしばらくお待ちください」と言われたのでそこに待機。そ してすぐに係りの人が来てくれた。すごく配慮が行き届いてる。と感動するもつかの間で、係りの人に「あ?DJだったら一人で行けるでしょ!ステージすぐそ こだから!」と言われたので、さっきの待機は何の意味があったのかは気にしない事にしてステージへ。

二年前、この音楽祭で僕がDJした時はサブ的なステージだったので、テントを張っただけの小さな仮設ブースのような場所だったが、今回僕がやるのはメインの「りんごステージ」だ。
事前に渡された資料には「DJの方はステージ横にある仮設ブースでのお願いとなります」と書いてあったが、それでもメインステージなので前回よりは良かろうと思ったが、どこか見覚えのある仮設ブースが目に飛びこんできたので、僕は何度も目をこすった。
ソレは「ステージ横」と呼ぶには少し遠い場所に位置しており、どちらかと言うと、フードやドリンクを販売するテントと併設されていた。
テントなのに、というか、テントだけに、というか、とにかく「蚊帳の外」感がハンパなかったが、スピーカーが前回より大きいので満足した。

僕がブースに荷物を置いてすぐ、ちょうどライブが終わって花形ハヤシさんがそこでDJを始めた。

花形さんはDJが始まると曲をスタートさせてすぐにブースから飛び出し、テント前でマイクで歌い始めた。さらに近くにいた子供二人も巻き込んで三人で終始歌い続けた。

20年近く前に僕が憧れた「DJ」と言う像とは程遠く、りんごステージと仮設ブースくらいかけ離れていたが、それでも頑張って盛り上げようとしている姿は尊敬する。


DJ終了時間が近くなると、歌うのをやめて、次のバンドの紹介をし始めたがバンドの準備が遅れたので、花形さんの出番が延長になったのだが、それを伝えに 来る者はおらず、ただただバンドが始まらないからそのまま喋り続けるといい形になったが、それも限界になり「もう喋る事がありません!」と、急に困惑の表 情を浮かべたのち、ひたすら「このあと、掟ポルシェさんを迎えに行きます」と連呼していた。
DJなんだし、喋る事がなくなったなら普通に音楽かけてれば良かったんじゃなかろうかと不思議に思った。


こうして花形ハヤシさんの出番は終わった。
係りの人が出番延長を伝えに来なかったのも悲しいが、あれだけパニクって事態の収拾に尽力したにも関わらず、それを見ていたのは数人だけという事のほうが悲しい。このDJブースはそういう場所なのだと理解した。
バンドの演奏が始まると花形さんは急いでどこかへ行ったが、連呼してたとおりポルシェさんを迎えに行ったのであろう。

そういえば、さっきのバンドの開始が遅れたどころじゃなく、全体的に結構遅れてるなと気がついた。
そんなタイミングで忙しそうに動き回る今回の主催者古川君を見つけた。早速「時間ってどれくらい押してるの?」と聞きに行ったら「ブカンに聞いてくださ い」と言われたので「ブカンって何?」と聞いたら「舞台監督です。入り口のインフォメーションにいます」と言われたので、素直に入り口までいってブカンに 聞いたら「たぶん遅れてる」という返答をいただいたので、とりあえず遅れていることは分かって、また仮設ブースへ戻った。なんか恥ずかしかった。

戻ると次のDJのダイナマイトマンダムさんがいたので挨拶して、遅れてるみたいだよと教えておいた。何分くらいですかねえという問いには答えられなかったが、それは古川君もブカンも答えられない。たぶん誰も。

待ちつかれたので控え室でしばらく休んだ。しばらくしてまたステージに戻ると、ダイナマイトマンダムさんがDJをしていた。DJというか、曲を流しながらテント前でダンスをしていた。
めちゃくちゃ盛り上げていて、メインのステージに負けないくらいたくさんの人が踊っていた。
最後はクレヨンしんちゃんの曲を流して、マイクで次のバンドを紹介して、華やかに終了した。

そして次のバンドもまたステージから飛び出していた。すごく気が重くなった。

このバンドが終わると僕の出番なのでブースで待機。さっき花形ハヤシさんが一緒に歌った子供達がブース内で遊んでいる。花形さんが気軽にブース内に入れた ので「ここで遊んでも良い」と認識してしまったのであろう。僕の真後ろで砂遊びを始めたので「それはカンベンして」とお願いした。演奏が止まったっぽいの でステージの方を見ると遠くで手を振ってる人がいる。これがキューか。ずいぶんいきなりだな。

そして僕はDJを始めたわけだが、時間が1時間くらい遅れたせいで、別のステージのクボタさんと出番が丸かぶりとなってしまって、僕の友人達もほとんどクボタさんのほうへと流れたが、特に止めはしなかった。

僕のDJ中、つねに子供が周りを走っていた。「誰かスタッフの人たすけてー」と心では思っていたが、あまり期待できない。
小西康陽さんがDJ名を付けてくれて、デビュー作が即完売して、その後も何作品かが即完売して、地方でDJするようになって、ルパン三世のリミックスやって、ジブリのカバーもやって・・・結構苦労したんだけどなあと思い返したらふと涙が出そうになった。

さらに、DJを続けていると、風でフライヤーが飛んできて、流れているレコードの上に乗った。そしてフライヤーが針を通過して音が止まった。僕は野外が向いていないのかもしれない。


30分後、急にスタッフが来て「もう曲止めちゃってください」と言われたので「この曲がラストですか?」と聞くと「いまです」と言われたので素直に止めた。今日、全体的になんか悲しい。

そして、バンドの演奏が始まった。このバンドの後ももう一回僕の出番なので待機。
しばらくして掟ポルシェさんがブースに荷物を置きに来た。そして誰も何も聞いていないのに、ブースに入るなり「別に俺は大丈夫!覚悟してたから!」と言い 放った。おそらくこのブースの「蚊帳の外」感に対しての一言であろう。おもわず僕も「同感です」と呼応した。そういえば掟さんもここか。僕よりも全然有名 なだけに、僕よりも全然気の毒だ。

2回目のDJは少し元気にやれた。掟さんのおかげだ。
それに、数人の人に「DJよかったです」と言ってもらえたので結果良しとする。


DJが終わって友人と話をしていると「ミツザビーツさんがタイムテーブルが分からなくて困っている」と聞いた。なぜか分からないけど「すごい」と思った。

その後、クボタさんに挨拶しに別のステージに行ったらものすごい盛り上がってた。僕もこっち側でやれるくらい頑張らないといけないなあと思いつつも、あの 仮設ブースでもどうにか盛り上げる方法はあっただろうなと反省しつつも、トータル面白かったからこの展開が一番ベストだったかもしれないなとも思った。


スタッフのみなさん、あんな大きな音楽祭でいろいろ大変だったと思います。おつかれさまでした。ありがとうございました。めちゃくちゃ面白かったですw