2020-02-17

オヤジが死んだ

オヤジの見舞いが頻繁なので、電車で通うよりそろそろバイクが欲しいと年末あたりから思っていて、やっと理想的なバイクを見つけた。ヤフオクで購入して、名義変更の為の書類やナンバープレートが届いたその日にオヤジが死んだ。オヤジっていつもこう。

肺ガンで死ぬ人の最後は、長時間溺れるように苦しんで死ぬと言われているらしく、さらに転移の多いオヤジは全身に激痛が走って耐えられない可能性もあると言われていたので、最後に苦しんでいたら眠らせてください。延命措置も苦しいだろうからしないでください。とお願いしていたが、実際にはオヤジは苦しむ事なく、痛みも無さそうな様子で、ただ呼吸が止まって死んだ。強烈な喉の渇きはあったようで、酸素マスクをズラしながらスプレーで潤わせていたが、満足させれるほど与えてあげられず、そこだけは苦しんだかもしれない。すまなかった。誤嚥するからムリだった。

呼吸が止まった時「すいません!オヤジが息をしていません!」とナースセンターに駆けつけたのだが「モニターで確認してました。すぐに医師を呼びました」と言われた。そうか延命措置をしないとはこの事か。
実際に死ぬと、オヤジ本人がツラいかもしれなくても、もう一度呼吸をして欲しいと思ってしまうものなんだなあ。散々彼女から「延命措置は苦しい物だから不必要には頼まない方がお父さんの為かも」と言われていたのに。納得していたのに。看護師さん助けてくださいと思ってしまった。

夜中というか、朝方というか、4時45分がオヤジの死亡時間だった。
死亡確認の医師が「4時4じゅう……5分。死亡確認しました」と、変な間があったのは、オヤジは本当は4並びで死んだのをお医者さんがズラしたんじゃないかと思った。死んだ時間だから4並びでも構わないだろうし、パチンコ好きのオヤジなら「ゾロ目はなかなか無いぞ」と喜びそうだがとにかく死亡時間は4:45だった。

そのあとは、母ちゃんを含む泣き崩れる親族達も全員落ち着いて、さてお通夜、葬式はどうしたものかの話し合い。本来なら一日空けてお通夜と葬式らしいのだが、一日空けてしまうと「友引き」になってしまうらしく、ドタバタするけど今日このまま通夜、明日葬式という結論になった。みんな方々に連絡して、いろんな事がざっくりと決まったくらいで朝6時、葬儀屋さんが来てオヤジの遺体を実家に運んだ。

次にオヤジが帰宅できるのは、この姿の時だろうと思っていた通りの姿でオヤジは帰宅した。オヤジが呼吸をしなくなった時は耐えれたが、家で横たわるオヤジの姿を見た時に、僕は人目を避けてほんの少しだけ涙が出た。かわいそう過ぎて耐えれなかった。おかえり。オヤジ。

この後は、ウチで葬儀屋さんとの葬式のプランの打ち合わせで、これがもうオヤジが引くんじゃないないかというほどの金額だったが、オヤジの人脈をフルに使って、まだ安いほうで、葬儀屋さんも協力的だったのだが、それでも高かった。

生前のオヤジは死にかけた時に、仕方なしに個室に入れられたのだが、その度に「この個室は保険適用外で一日15000円だぞ。こんな事の為に趣味で集めた物を売るなんてバカバカしい」と嘆いていたが、いざ葬儀となると、いろんな選択をするたびに5万円くらいが乱高下する感じで、「オヤジはあんまりこういうのは望んでいないと思う」と、出来るだけ小さい家族葬にしたい。と言ってみても、「格好がつかない」という親戚の発言で、ミニ四駆のカスタムみたいにあれやこれやと、しっかりとした葬儀へと向かっていった。誰が払うんだ。こっちだろうに。
はい5万。はい5万。はい5万。という感じ。

お通夜の日の夜、まあオヤジが死んだ日の夜でもあるが、この日は僕は、やるべき事が済んだら実家に帰った。
斎場で泊まる事も出来たが、遠方からの親族やら母ちゃんやらを優先したら泊まるスペースが無くなったし、次の日に、オヤジの見舞いの必要もなくなったバイクの名義変更で市役所にも行かねばで、まあ実家でいいかと判断した。

この日、疲れ過ぎて、寝不足過ぎて、自分の部屋は残っているのだけれど、そこに布団を引いたりテレビを移動したり、という体力がなく。そもそも介護する為に準備されていたオヤジの部屋で倒れるように寝た。30数年ぶりのオヤジのベッドだったが、意外とよく寝れた。