2020-12-12

厄年と大殺界

2016~2019が厄年。2017~2020が大殺界。厄年は同世代ならみんな同じだが、僕はこれに大殺界が重なった。厄年はよくわからないけど、大殺界やべえ。僕は前回の大殺界で酷い目に遭っている。

2016年の2月。「どこかでインターホンを鳴らすと、住民全員がウチだと思って玄関に顔を出す」と言われるほど壁の薄いレオパレスから、広い物件に引っ越した。

引っ越しの前日。滅多に風邪もひかない僕が強烈な胃腸風邪になり、夜中に嘔吐と下痢をし続けて、一睡もできずに引っ越し作業することになった。当日も嘔吐と下痢で僕は全く役に立たず。そしてこの胃腸風邪は彼女にもうつって、新居での数日間、僕らは大人用の紙おむつをして過ごした。この風邪やばすぎた。パチンコ屋でうつったと思われるのだが、こんな状態のやつが我慢してパチンコやってたかと思うと腹が立つ。クソ野郎め!胃腸風邪だけに。ふふふ。

そして、この胃腸風邪が治ったあと、嘔吐しまくったことが原因で、歯の根本に菌が入って、強烈な歯の痛みに襲われて、一日全く眠れず、早朝から歯医者で開店待ちをした。開店待ちをしたって予約の人が優先されるのは当然なのだが、痛すぎて、普段こういう事で全く怒らない僕が「痛みがやばすぎるので早くしてください」と怒った。しかもその歯医者ではどうにもならずに市民病院に行くことになった。

歯の痛みも治りきらぬ状態で今度は人生初のインフルエンザにかかった。胃腸風邪の病み上がりで、歯も痛くて身体が弱っていたうえに、市民病院の口腔外科の近くに呼吸器内科があったからだと思うが、身体が弱っていたことより、市民病院の配置のほうが強めの原因と思われる。

そしてこのインフルエンザを隠したまま、両親や妹家族を新居に招いた事でクラスターが発生して、僕はめちゃくちゃ怒られた。

この3連コンボが治まった時にふと「あれ?新年早々おかしい」と思った。快適な新居のはずが、最初の1か月のほとんどをトイレと寝室で過ごしている。

調べてみるとこの年が前厄であり、来年からは大殺界も来ることを知る。

それから4年。長かった。とても長かった。パチスロで生活している僕に「運が悪い」は非常にマズく、普段なら贅沢しなければ貯金は増えていくというレベルで生活できていたのに、もう「通帳の意味がない。全財産がシャツの胸ポケットに入る」というところまで減った。

買ったバイクは大ハズレで、買ってから一か月もしないうちに修理代がバイクの本体代金を超えたし、自宅から何十キロも離れた所で動かなくなって途方に暮れた事は数知れず。バイク捨てて、自転車に切り替えたら2か月程度で5回くらいパンクした。「パンクした自転車を引いて歩くくらいなら、自転車ないほうが楽」と、しばらく徒歩に切り替えたが「生きていくのに時間がかかりすぎる。野菜買うだけで1時間半」と気が付いてまたバイクを買った。

命に係わるほどの重病は無かった親父が急にガンで死んだし、この4年間「良い事が無かったとは言わないが、悪いことが目立つ。際立つ。腹立つ」という感じだった。


こんな4年間だったが、数日前、僕は4年以上ぶりにスロットで20万勝ちした。

まだ大殺界は終わっていないというのに、僕の持っている大量の運があふれ出して、フライングしてきている。と思った。とてもワクワクしています。


https://youtu.be/mZjdzeIzlSk

再掲です。クリスマスミックスです。

2020-12-08

酒をやめたら少し瘦せました

 酒をやめています。ですが「一滴も飲まない」というのではなく、ビールをたまに飲んでいます。なんというか「ちょっとでも飲んだらもう歯止めがきかなくなる」みたいな人間じゃないぞ僕は。と自分で思いたいから軽めにビールを飲んでいるのですが、そもそもそれが依存症なのかもしれない。

しかし実際のところ、ビール1本では酔わないし、毎朝二日酔いじゃないし、誰かと不要なLINEをしてしまった事を悔やむこともなく、健康的な暮らしになった気がします。

酒を飲んでいたころは甘い物はほとんど食べなかったのですが、最近はチョコが無性に食べたくて、毎日たくさん食べています。太るかと思ったのですが、少しづつ痩せています。毎日チョコを1袋食べるより、ウイスキーを1リットル飲むほうが太るようです。


40分のクリスマスミックスを作りました。新しい音楽ソフトの試運転がてら、自分用として。あと20年以上前に名古屋のDJの人が作ったクリスマスミックスを聴いたときの記憶がいまだにあって「あーゆーのが作ってみたい」と思っていたので。

自分用とは言え、いざ作り始めるとなぜか「クリスマス物しか使ってはいけない」という頭になってしまって「クリスマス、がタイトルに付いてなくてもクリスマス曲はある」「実はこれもクリスマス曲」みたいな事を調べ始めた。実際に12月24-25日にDJした時なんて戦メリくらいしか使ってなかったくせに。


https://youtu.be/mZjdzeIzlSk


一回、サウンドクライドというのにアップしたのですが、いまいち自分でわかってなかったのでYOUTUBEにも載せました。あと気になるところが何か所かあったので、その辺も修正しました。

2020-11-26

酒をやめています

 ある日。彼女が夜勤で家にいない日。僕はいつものように酒を飲んで寝た。

夜中に目を覚ますと、服がべとべとに濡れていて、僕の寝ている横で棚が倒れていた。手で押したって簡単に倒れそうもない棚がどうやって倒れたのか分からない。棚の上にあった酒やジンジャエールの瓶は粉々に割れていて、その液体で僕はべとべとになっていた。べとべとなのは僕だけでなく、買ったばかりの彼女のお気に入りのラグや、一度座ると立ち上がれなくなる無印のクッション2つ。彼女が仕事で使う大量の本。

すべてが糖分を含んだ液体で濡れて、もうすでに少し乾きかけのべっとべとの状態だった。コーヒーを作るやつは壊れていたし、炊飯ジャーも転がっていて、僕自身も転がっていて、どれが無事でどれが壊れたのかも分からない状態だった。

これは普段から酒癖の良くない僕でも初めて見る悲惨な光景だった。

彼女が帰ってくる前に元に戻さなきゃと手を付けてみたものの、まったく片付く気がしない。酔った僕はいったい何を考えてこの棚を倒したんだろう。ニヤニヤしながら「よーし、今日は棚を倒すぞー!おー!」ってやってる姿を想像して、自分自身に腹が立ってきた。

酔った僕がめちゃくちゃやって、シラフの僕が事態を収束するという行為をこの人生でいったいどれだけやってきたのだろうか。と考えながら僕は自分自身を思い切りビンタした。自分でやったけど「あ、これケガするわ。アゴやば」と思うほど痛かったので「酔った僕め、反省しやがれ」と少し気分が晴れたが、いま僕はまだ少し酒が残っている状態なので、もしかしたら「酔ってる僕が、さらなる悪ふざけでシラフの僕に目がけてビンタした」とも言えなくもない。どっちがどっちにビンタしたのか訳が分からなくなった。

とにかくどっちの僕でもいいから片付けをしなくてはならない。ほっぺたが無駄に痛い。アゴもきてる。


結局、片付けは彼女が帰ってきても終わらず。全部バレた。

自分でさんざん反省したし、ほっぺた痛いからもう怒られたくない。怒られたくないから、怒られる前に僕から怒った。「酒のせいで大変な目に遭ったわ。酒めええええ!」と。

そして家にある残った酒を全部捨てた。奇跡的にこれで怒られずに済んだ。

それから2か月。僕は酒をやめています。


ときどき飲みたくなるけど「ウイスキーを何リットルも捨てたのに、また買うのか。バカバカしい」という気持ちが僕から酒を遠ざけます。

おじいちゃんが「どれだけ酔って、お金がなくなっても家に帰れるように」と身に着けていたあの金の指輪を、僕が受け継いでからわずか数日で酒をやめたわけで、これは意外とおじいちゃんの願いだったのかもな。と前向きに考えています。


パソコンを買い替えて、音楽ソフトの新しいやつもインストールしたので、試しにクリスマスのミックスを作っています。適当に配ろうと思ってますが、youtubeがいいのかファイルストレージとかで個別に送るほうがいいのか、どうしようか誰かに相談して、今月中にはアップしようと思ってます。

2020-02-19

長男

葬儀場に泊まった従兄弟は「夢でおじさんが出てきた」と言うし、親族の何人かは枕元にオヤジが出たらしいが、オヤジの大好きな息子の僕が、オヤジのベッドで寝たというのに、なんの夢さえも見ずに普通によく寝れた。

通夜や葬式は大変だった。ほとんどは近い親戚や母ちゃんに頼りきりで、葬儀の進行はそれぞれに任せていられたのだが、母方、父方いろいろな親族がいて、みんなが仲が良いわけでもなく、オヤジの葬式への方向性も同じではなく、時としてお坊さんや葬儀屋さんを巻き込んで、とても嫌な空気になっていた。
しかし、それぞれがちゃんと僕の味方ではあって、ありがたい事だったので、いろんな所に気を遣った。
あと、知らない人が多すぎた。喪主めんどくせえ。
僕はほとんどなす術もなく、ただ気苦労だけを募らせて、葬儀は終わった。

オヤジを焼いて、初七日も済ませて、実家に戻った。


実家に戻った後、葬儀屋さんが来て、オヤジの仮の仏壇を組み立ててくれた。
このときに「僕は独身で子供がいないので、オヤジに墓を建てても、母ちゃんが死んだ後にすぐ墓じまいする可能性が高いので、墓を建てない場合の選択肢って何があるんですか?」と聞いてみた。

仏壇はどうであれ、骨はどこかのタイミングでどうにかする必要があるらしい。
墓を建てなくたって、個室の納骨堂や共同合祀みたいな所に預けたり、砕いて海に散骨したりせねばならないらしく、実家で放置して、母ちゃんも死んで、僕も死んだら、骨×3の費用がそのまま妹の家族にのしかかるそうだ。その費用だが、個室の納骨堂だと50〜100万円程度、共同合祀で30万前後かなあと言っていた。あと預けてから50年〜100年は定期的にお金払うよ。だから、散骨が1番安いんだけど、散骨できる状態まで砕く業者に頼む費用と、散骨できる海域までのチャーター船の費用が必要。20万あればいけるのかなあ。と言われた。

誰かが死んだら、拒否できずにある程度の量の骨を渡されて、この処分には最低でも20万以上は必要という、この選択肢しかない仕組みは誰が作ったんだろう。焼いた後に、骨壺に入らない分は向こうで処分してるじゃないか。あとちょっとじゃないか。

それでも「無い袖は振れない」と言うから、本当に無い場合はどうにかなるモノだよ。と葬儀屋さんは言っていたが「そこまで空っぽにならないとダメなんか」と思った。


散骨する気はないし、出来れば納骨堂が良いかなとは思っているけど、選択肢の少なさというか、無料な所がないのって「誰が儲けてんだろ」と思ってモヤモヤするし、長男めんどくせえ。


葬儀屋さんが帰ってから、母ちゃんを市役所や税務署に連れてったり、遺品整理でゴミ処理場を往復したりで数日はバタバタしたが、その後は自宅に戻って、バイクも手に入れて、僕は普段の生活に戻った。


何か困った事があるたびに、ああオヤジがもういないんだなと喪失感を味わったりするが、携帯に残っているオヤジの動画を見ると気持ちが落ち着く。

せん妄状態になってる時のもので、看護師さんに
「俺は大腸ガンかもしれない。うんこが出ないんだ。うんこ?あれ?なんだっけ?」
と言っている動画。

もう少しまともな動画が良かったなと思いつつも、この動画だから悲しまずにいられる気もする。

オヤジは死ぬ日まで便通が悪かった事が一度もない。

2020-02-17

オヤジが死んだ

オヤジの見舞いが頻繁なので、電車で通うよりそろそろバイクが欲しいと年末あたりから思っていて、やっと理想的なバイクを見つけた。ヤフオクで購入して、名義変更の為の書類やナンバープレートが届いたその日にオヤジが死んだ。オヤジっていつもこう。

肺ガンで死ぬ人の最後は、長時間溺れるように苦しんで死ぬと言われているらしく、さらに転移の多いオヤジは全身に激痛が走って耐えられない可能性もあると言われていたので、最後に苦しんでいたら眠らせてください。延命措置も苦しいだろうからしないでください。とお願いしていたが、実際にはオヤジは苦しむ事なく、痛みも無さそうな様子で、ただ呼吸が止まって死んだ。強烈な喉の渇きはあったようで、酸素マスクをズラしながらスプレーで潤わせていたが、満足させれるほど与えてあげられず、そこだけは苦しんだかもしれない。すまなかった。誤嚥するからムリだった。

呼吸が止まった時「すいません!オヤジが息をしていません!」とナースセンターに駆けつけたのだが「モニターで確認してました。すぐに医師を呼びました」と言われた。そうか延命措置をしないとはこの事か。
実際に死ぬと、オヤジ本人がツラいかもしれなくても、もう一度呼吸をして欲しいと思ってしまうものなんだなあ。散々彼女から「延命措置は苦しい物だから不必要には頼まない方がお父さんの為かも」と言われていたのに。納得していたのに。看護師さん助けてくださいと思ってしまった。

夜中というか、朝方というか、4時45分がオヤジの死亡時間だった。
死亡確認の医師が「4時4じゅう……5分。死亡確認しました」と、変な間があったのは、オヤジは本当は4並びで死んだのをお医者さんがズラしたんじゃないかと思った。死んだ時間だから4並びでも構わないだろうし、パチンコ好きのオヤジなら「ゾロ目はなかなか無いぞ」と喜びそうだがとにかく死亡時間は4:45だった。

そのあとは、母ちゃんを含む泣き崩れる親族達も全員落ち着いて、さてお通夜、葬式はどうしたものかの話し合い。本来なら一日空けてお通夜と葬式らしいのだが、一日空けてしまうと「友引き」になってしまうらしく、ドタバタするけど今日このまま通夜、明日葬式という結論になった。みんな方々に連絡して、いろんな事がざっくりと決まったくらいで朝6時、葬儀屋さんが来てオヤジの遺体を実家に運んだ。

次にオヤジが帰宅できるのは、この姿の時だろうと思っていた通りの姿でオヤジは帰宅した。オヤジが呼吸をしなくなった時は耐えれたが、家で横たわるオヤジの姿を見た時に、僕は人目を避けてほんの少しだけ涙が出た。かわいそう過ぎて耐えれなかった。おかえり。オヤジ。

この後は、ウチで葬儀屋さんとの葬式のプランの打ち合わせで、これがもうオヤジが引くんじゃないないかというほどの金額だったが、オヤジの人脈をフルに使って、まだ安いほうで、葬儀屋さんも協力的だったのだが、それでも高かった。

生前のオヤジは死にかけた時に、仕方なしに個室に入れられたのだが、その度に「この個室は保険適用外で一日15000円だぞ。こんな事の為に趣味で集めた物を売るなんてバカバカしい」と嘆いていたが、いざ葬儀となると、いろんな選択をするたびに5万円くらいが乱高下する感じで、「オヤジはあんまりこういうのは望んでいないと思う」と、出来るだけ小さい家族葬にしたい。と言ってみても、「格好がつかない」という親戚の発言で、ミニ四駆のカスタムみたいにあれやこれやと、しっかりとした葬儀へと向かっていった。誰が払うんだ。こっちだろうに。
はい5万。はい5万。はい5万。という感じ。

お通夜の日の夜、まあオヤジが死んだ日の夜でもあるが、この日は僕は、やるべき事が済んだら実家に帰った。
斎場で泊まる事も出来たが、遠方からの親族やら母ちゃんやらを優先したら泊まるスペースが無くなったし、次の日に、オヤジの見舞いの必要もなくなったバイクの名義変更で市役所にも行かねばで、まあ実家でいいかと判断した。

この日、疲れ過ぎて、寝不足過ぎて、自分の部屋は残っているのだけれど、そこに布団を引いたりテレビを移動したり、という体力がなく。そもそも介護する為に準備されていたオヤジの部屋で倒れるように寝た。30数年ぶりのオヤジのベッドだったが、意外とよく寝れた。

2020-02-06

どっちなんだろう

彼女が休みだったのでオヤジのお見舞いに行った。
病室に入るとオヤジはテレビを見ていた。音も出して見ている。

最近のオヤジはテレビをただ見つめているだけで、音が出ていても、出ていなくても気にしない。なんで今日は音出してるんだろ。なんかテレビ見てるな。ボーっと見つめてる感じじゃないな。調子良さそうだな。

今日は彼女も連れてきたぞ。調子はどうだ?みたいないつもの会話をしてみたが、はっきり返事が来るし、なんか滑舌が良くなってる。「はうはうはう」としか言えなかったのに、かなり普通に喋ってる。

そして、「今日、鏡見たらさ。髪がまた生えてきててな。今なら遺影の写真を撮ってもいいかと思うんだ。もしもの事があった時の為にさ」なんて言い出した。なにこれ。
今回のオヤジの認知状態は、せん妄じゃなくて、ガンが頭に飛んだやつだから絶対正常には戻らないと思ってたが、どうやら1カ月まるっとせん妄だったようだ。
「俺は入院したくなくて、ストレスがすごくて、それ以降は夢を見ているようだった。アレは全部妄想だったのか」と、逆にこっちが付いていけないくらいにオヤジの頭はハッキリしていた。何のタイミングなんだろう。一時退院したわけでもないし、なんの変化もなくオヤジは病室にいるのに、1カ月もして、こっちが諦めた頃に急に戻った。オヤジっていつもこう。

主治医の先生がいつものように挨拶に来てくれた。オヤジは「今日もこんな姿勢でごめんなさい」と寝たきり状態で会話する事を謝った。僕はオヤジのこうゆう所が大好きだし、僕にも遺伝されていると思うので、オヤジに感謝している。まあ、コレはせん妄状態の時も同様に謝っていたので、先生にとって違和感は無かったが、言葉がはっきり言えている違和感はあるし、その後の会話が成立している事にめちゃくちゃ驚いていた。目が飛び出る、みたいな顔をして「こんな事があるんですねえ」と言っていた。

血液検査の数値も日に日に悪くなっていて、認知状態も悪くなっていて、ボケて死の恐怖とも向き合わずに死にゆく。みたいなレールに乗っかったと誰しもが思っていたのに、オヤジは目覚めた。身体だけは安定して死に向かっているのに。


こんなオヤジが「あーあー、家に帰りてーなー。家がいいよなー」と言い出した。
独り言のように見せつつも、チラチラと僕や彼女や母ちゃんを見ている。こいつ完全に復活したな。と思いながらも、こちらも誰も目を合わせず、その問いにも答えず、変な空気が流れた。

変な空気だっただろ今。とオヤジに言ってやりたいくらいに、帰りたいと言う言葉はその後も何回か出た。

本来のオヤジは、死に直面したら耐えられないくらいの弱めの精神力だから「死を感じさせないように」と、こっちが散々気を使っているわけで、、、だから「俺死ぬけどw」みたいなノリで「帰りてーなー」なんて発言をするはずがない。

なので、あの帰りてーなー発言に対して、軽々しく「いやムリムリw分かってるっしょw」なんて言ってはいけない。本気の「家に帰りたい」という願望なはずだ。コレが正解なはずだ。


合ってるよな?そうだよな?まだ死ぬって思ってないよな?
明るく死ねるような性格じゃないよな?

俺って意外とそーゆータイプよwみたいな事だったら、俺や母ちゃんは40年以上かけて大変な誤算をしている。

2020-02-03

ビンタ

オヤジはみるみる悪くなっていく。
1カ月前は普通に会話できたし、自分でトイレにも行けていたのに。
今はその両方とも難しい。

最近は死にかける事がとても多くて、呼び出しもあって、どうにかその死に目には会いたくて、しかしながら、ケロっと復活したりして、それが変な感じで麻痺していて、僕は「今日はまだ元気そうだから、近いうちに見舞いに行くわ」と言うようになった。死なないなら行かない、みたいな。本来は元気なオヤジに会いたくてお見舞いに行くのに、いつの間にかオヤジの死を望むような態度だったことに気がついたから「いつからかオヤジの死を望むような事になっていた。こんなやつは全力でビンタしてくれ」と彼女に言ったが「そこに気がつく良い子にビンタなんて出来ない」と言われた。

現在オヤジはめちゃくちゃボケていて、呂律が回らないし、言ってる事も分からない。
僕がお見舞いに行けなくても、病院にいる母ちゃんから、スピーカーの通話でオヤジと話ができるのだが、オヤジの言葉はほとんど「はうはうはう」なので全く会話が成立しなかった。母ちゃんから、何言ってるか分からないけど、ナオの声が聴けて笑ってるよ。と言われた。そんな事を言われるととても悲しくなる。オヤジは僕と話したいんか。


今まで本当にありがとう。ありがとう。大好きだぞ。と言いたいのだが、タイミングが見つからない。もう伝わらないかもしれない。

2020-01-25

最後の挨拶

昨日の夕方に母ちゃんから泣きながら電話があった。「認知状態のオヤジが急に我にかえって、泣きながら、今までありがとうって言った」と。そろそろ本格的にヤバい時は、血圧がすごく下がるか、オシッコの量が極端に減るかのどちらかだと彼女から聞いていたが、まさにオシッコが極端に減っていた。最後の最後で戻ってきて、母ちゃんに感謝の言葉を伝えたんだなあ。やるじゃないか。

夜、彼女に状況を話すと「明日の始発で行ってこい。最後の挨拶をするなら明日だ。もう数日ももたない」と言われた。それと、この前「ナオが来るなら酒だろ!俺はナオと酒が飲みたいんだ!って暴れたって言ってたでしょ?看護師さんに見つかったらダメだけど、隠してお酒買っていきな。どうせ飲めないと思うから、一緒に乾杯してあげて」と言われた。これは本格的に最後だと思い、妹にも連絡した。

彼女が寝た後、過去のオヤジの写真を見ながら1人で呑んだ。

そして今日。完全に飲み過ぎて、うっかりしっかり寝坊した。10時にはバスに乗れたが、母ちゃんから「オヤジがナオを呼んでるから早くきて」と連絡があった。すまんオヤジ。頑張れオヤジ。

病室に着くとオヤジは元気そうに見えた。とにかくよく喋る。言ってる事が飛び回るし、呂律が回ってない事も加わって、会話の成立率20%くらいだったが、とにかく最後に言いたい事を吐き出しているように見えた。

歌も歌いだした。なんか元気だな。ニット帽をかぶりたいと言うので、かぶらせたら「これが若い頃だったら、俺はイケメンだな」と、どえらいゴキゲンだった。
この流れでオヤジに「今日はな〜。なんと!ビールを買って来たんだぞ〜!」と言ったら「は?飲まん」と言われた。ビールよりもキンキンに冷えた返答しやがった。
前回のせん妄の時と違って、全体的に機嫌が良い。よく笑う。

やはり元気そうに見える。   あれ?これって…

オシッコの量を記入してある紙を写メして、彼女に送った。血圧も報告した。
数分後に彼女から「復活したね。これなら大丈夫かな」と返信がきた。やっぱな。オヤジっていつもこう。

妹もきて、オヤジの復活に安堵したが「あんたは沖縄に兄弟はいるのか?」とオヤジに言われて「娘を忘れやがった」とキレていた。とにかく会話がめちゃくちゃだった。

夕方、熱が出だした。口数も減って、しんどいと言いだしたので、氷枕で頭と脇を冷やしたが苦しそうだった。ちょっと待て、ニット帽してるじゃないか。ニット帽を取ると「こりゃええわ」と涼しげな顔をして、体温が下がったわけではないが、また口数が増えた。


とにかく元気そうだったので、今日は病室に泊まるか、実家に泊まるつもりでいたが、普通に家に帰った。


2020-01-13

認知症は恐ろしい

10月にオヤジが「せん妄」になった。急激なストレスなどが引き金になって起こる、一時的な認知症のような状態だそうだ。
ガン宣告から、念願の初退院。してからすぐに熱が40度になったせいで、またすぐ入院というのが相当なストレスだったようだ。
この日は午前中から様子がおかしくて、母ちゃんに「新しいアイホンが欲しい」と言い出した。仕方ないので病院の近くのソフトバンクに行こうとしたら「いつもお世話になってる店じゃないとダメ」と指示されて、わざわざ実家の近くまで行ったそうな。

僕はこのタイミングでお見舞いに行ったので母ちゃんはいなかった。母ちゃんからLINEで「オヤジやばいから気をつけて」とだけ連絡があった。

病室に入り、オヤジに挨拶するなりなんだか様子がおかしい。同じ事ばっかり言うし、意味分からない事も言うし、なんかずっと「携帯まだか?」「点滴が邪魔だからこんなもんはヒキちぎってやる」「病院嫌だ。もう帰る」て怒ってる。母ちゃんの言う「オヤジがやばい」の意味はすぐに理解できたが、オヤジが話す内容のほとんどは理解できなかった。

とにかくキレているので、なだめ続けて1時間。クタクタになった所で「俺寝るから、ラウンジにでも行ってていいぞ」と言われて、喜んでラウンジに行った3分後には看護師に手を引かれたオヤジが現れた。「寝るんじゃなかったのか?」と聞くと「いま昼だぞ。寝るわけないだろ」と言われた。母ちゃんに「ギブアップです。早く戻ってきて」とLINEしたが、機種変更に苦戦したようで、母ちゃんが戻ってきたのはそれから3時間後だった。

その3時間後。新しいアイホンのおかげでオヤジの機嫌は劇的に良くなった。ただ残念な事に記憶力が皆無の状態なので、まともに操作が出来ない。「これはどーやるだ」「ほうかほうか。じゃあこれはどーやるだ」という感じで、アイホンの起動→youtubeのアプリをタップ→好きな動画を再生。のシンプルな手順を何十回も説明させられた。

面会時間が過ぎたので諦めて帰った。
次の日オヤジは防衛省から電話がかかってきたらしい。アイホンのどこをどう触ったらそんな事態になるのか逆に教えて欲しかったが、その手順もオヤジはもちろん忘れていた。

この「せん妄」は発症してから3日間くらいかけて元に戻った。

これ以降、この症状にはならなかったのだが。


年末年始を自宅で過ごして1月8日に再入院。入院前はとても元気で「これならあと一回くらい退院出来るかもしれない」なんて欲が出てきたが、入院した途端にみるみる状態は悪化して、結局お医者さんの言う通りで、今回の年末年始がオヤジの最後の退院という事になりそうだ。8日に入院して、10日に血圧が60まで下がって死にかけた。深夜に病院に駆けつけようと準備をして、いざ病院に連絡してみると「血圧も上がって、安定してますし、お父さんはいま携帯を触ってますよ」と看護師さんに言われたのでまた部屋着に着替えた。オヤジっていつもこう。

次の日にお見舞いに行った。もう自力でトイレに行けなくなっていて、飯も食わない。ぼーっとしている。目を開けたままイビキをかいている。時折、母ちゃんが「もうオヤジの面倒みきれんわ。大変」など、オヤジにとってマイナスな話題になるとイビキは止まり、しっかりとこちらへ目線を向けてくる。そしてたまに喋るが、大抵は10分〜20分くらい前の話題への返答なので理解するのに苦労する。

夕方になって、少し怒りだした。テレビのリモコン操作もできなくなった。あの時と同じ感じだ。面会時間も過ぎたので帰った。

次の日。オヤジは完璧に認知症のような感じだった。トイレに行きたいと言いだしたが、もう数日前からオシメをしていて、もう何度もお漏らししているので「そのまましていいよ」と言うと、「ええんか?」と何度も聞いたのち、結局看護師を呼んで、尿瓶でオシッコをした。オシメだからそのまましろって言われても嫌なんだろうな。わかるわかる。

その後、オシッコしたくなると母ちゃんに尿瓶を持たせたが、どうも下手らしく、オヤジは怒った。怒ったのちに看護師に尿瓶を頼んで「よく見てろ!そんな遠くじゃ見えんだろ!」と尿瓶のポジションやらなんやらを説明していた。世間体を気にしながら生きてきたオヤジがこの局面でその強固なストッパーが外れた瞬間を見た気がした。

夕方、僕らが帰る時、オヤジがオナラをした。真顔で「これはええんか?」と聞いてきた。「ええよ」と答えた。


帰りのバスで、僕と母ちゃんで腹を抱えて笑った。